文化二年(1805) 任命
上総 芝山観音教寺の42代住職貫宗 秀暁師が
初代住職として任命される。
秀暁建立の『一石一字塔』(文化三年)
海難供養の為、一つの石にお経の一文字を
写経して納めた。
場所 : えりも町『百人浜』
文化五年(1808) 任命
初代住職 秀暁師の請願により、慈順代に護摩堂が建立された。
文化十年(1813) 任命
三界萬霊塔を建立する。
境内地を現在の様似町本町に移転する。
弘化三年(1846) 任命
馬の飼育をおこない勤行には馬にまたがり巡回したことから
『馬追い上人』という愛称で呼ばれていた。
これが日高の牧場の始まりといわれている。
明治三十年(1897) 任命
明治二十三年から天台宗様似説教所に派遣され、
等澍院の再興に尽力された。
明治二十八年(1895)に西国三十三札所にならって
当時等澍院の所有であった「丸山(現在の観音山)」に
信者の寄進によって三十三体の観音様を安置した。
昭和九年(1934) 任命
昭和四十年(1965) 本堂を高台に移転新築する。
護摩堂は移築修復をおこなう。
六十六年の長きにわたり住職を勤める。
平成 十 三 年 一 月 一 日 等澍院住職 拝命
平成 十 八 年 十 月 一 日 新本堂建立 落慶
平成二十三年 十 月 一 日 護摩堂移転 落慶